古代 あやこ☆ブログ

シンガー・ソングライター

宮城県東松島、石巻、仙台市ライブのご報告

遅くなりましたが、東北ライブのご報告です。
10月29、30日に行ってきました。

当日は晴天、暖かい日でした。
名古屋を朝7時33分発の新幹線に乗り、静岡で、このライブを企画してくださったYさんと合流。
仙台で、東京からライブにゲスト参加してくださる『相模の風THEめをと』のお二人と合流。
仙台駅には、Yさんのご親戚のOさんが車で迎えに来てくれていました。
まずは、東松島市矢本運動公園仮設住宅へ向かいました。
Oさん御一家は、震災で家が流されてしまったため、ここの仮設に住んでみえます。
Oさん宅で腹ごしらえさせていただきまして、ライブ会場の東集会所へ。

おお〜♪こんな素敵なポスターが会場に貼ってありました!
作ってくださったんですね〜嬉しかったです。
ライブの前に、シネマボランティアの方々が『綾小路きみまろ上映会』というのをされていました。
これが面白くって、笑えました〜。
そして、午後3時『共感ライブ』が始まりました。
まずは、企画担当Yさんのご挨拶から。
案の定、話の途中で感極まり泣いてみえました。
『共感ライブ』というタイトルはYさんがつけました。
励ますとか慰めるとかではなく、同じ時間を一緒に笑ったり泣いたりして過ごせたらいいなぁという思いから来たタイトルです。
わたしも、このテーマに共感していましたから、とにかく自然体でと思っていました。
いつもライブではメッセージを発してるわたしが、今回は一切メッセージを持たずに行きました。
持って行った曲は、師匠と相談して選んだ20曲あまり。(3会場分です。同じ曲を何度も歌うの苦手なんで。)
そこから、お客さんに選んでいただいて歌うという形式をとりました。
途中、ハプニングが…。
演奏中に地震がありました。震度3くらいだったでしょうか。
前に座ってみえたお客さんが「大丈夫だから続けて」という感じの合図をくれました。
皆さん、そう慌てていらっしゃいませんでした…。
さて、新曲コーナー♪今回は師匠の未発表曲で、タイトルは『わらおう』(笑)
出発の前日に、師匠が突然「これ、持ってく?」と渡してくれた曲をしどろもどろになって歌いました。
だってね、師匠の書いた超きたない字にコードが書かれただけの譜面で「こんな感じ〜」と師匠が2回ほど歌ってくれただけでしたから、うろ覚えもいいとこです。
でも、これが1番よかったようです…。
歌い終わってから、ふいにひとりのお客さんが「わらお〜♪」とポツリ楽しげに歌ってくれたんです。
この『わらおう』は、師匠が4年前くらいに遊び心で作った曲で、ネガティブな言葉の連続の最後に「わらお〜♪」と一言だけ入る、変わったノリのほんわかした曲です。
わたし自身も、前日にこれを受け取って「なにこれ〜!」って笑ってから、ストーンと力が抜けて楽になりました。
この曲は、この後の石巻と、翌日の仙台でもやらせてもらいました。
側にいないけれど、師匠は確かに、わたしを助けてくれていました。さすがっ。
きみまろ上映会のすぐ後にライブだったため、長時間座ってみえるお客さんたちのことが心配で、自分のライブは早めに切り上げ、ゲスト参加のTHEめをとさんにバトンタッチしました。
東京のミュージシャンです。
ご夫婦の掛け合いが漫才のようで楽しくて、オリジナルの他に、誰でも知ってる曲もやって盛り上げてくれました。
わたしの曲ではありえない、手拍子も来ました〜(笑)
来ていただいて、助かりました。感謝。
これは、わたしのライブの風景です。

THEめをとさんは人気者のようでした。
仙台と、なんと東京からも応援の方がみえてました。
その東京からみえた方、ライブ後、わたしにもお土産をくださいまして、嬉しかったです。
ここが終わると、また今度はOさんの奥さんのMさんに、車で石巻まで運んでいただきました。
石巻に着くと、まずYさんのご親戚のK子さんの家へ寄りました。
K子さんはMさんのお母様です。
K子さん宅も被災して、1階部分が酷い状態でした。
2階で生活してみえるそうです。
息子さんが大工さんだそうですが、まだまだ他所でお忙しいとのこと。
また、K子さんはお店を経営されてましたが、そこもまだ営業できない状態でした。
この日のライブは、K子さんが積極的に動いてくださり、東松島仮設の東集会所をお借りできて、夕方からの石巻ライブも実現しました。感謝の極みです。
夕方からの会場になっている石巻市大街道南・門脇邸前駐車場に着くと、ご婦人方が大〜きな鍋でおでんを用意してくれていました。
お茶もたくさんありました。
来てくださった方々に配ってくださってました。
場所を提供してくださった門脇さんは消防団団長、とっても気さくで明るいお方!
なんと、このライブのために照明機材を一機買って用意してくださってました。
その上、ネットでわたしの情報を調べてプリントした束を持ち、ライブ前にお客さん方にしっかりご紹介くださいました。
あ〜〜嬉し過ぎます…。感謝。
夕方6時頃からのライブなので、冷えて来ました。
なのに、どんどんお客さんがいらっしゃいました。
石巻日日新聞という地元の新聞に、広告が載っていたとのこと。
用意した椅子は埋まり、立ち見も出てしまいました。
門脇さんの照明やご婦人方のおでんの御陰で、寒いはずの野外ライブが、なんとも暖かい雰囲気に包まれ、来てくださった皆さんはそれは熱心に聴いてくださっていました。
座っている距離が近いので、お一人お一人と時にはお話出来たりしました。
ここでも自分の曲をリクエストしてもらって歌いましたが、歌い終わると「ありがとう」と言ってくださる方があって、ちょっとびっくりして、心の中がポッと暖かくなって、ありがとうをありがとうという気持ちでした。
『門脇邸前駐車場円陣ライブ』という名称を、企画のYさんが付けていました。
その名の通り、石巻の方々の暖かい円陣の中に、わたしは居ました。
…思い出すと、いまだに胸がいっぱいになり泣けて来てしまいます…。
自分のライブの番が終わり、2部のTHEめをとさんのライブを観ようと客席側に来たとき、さっと近寄って声をかけてくれたお客さんがありました。
建築関係のお仕事をされているという男性でした。
なんと名古屋のかたでした!
わたしが名古屋から来たというのが嬉しかったと感激してみえました。わたしも嬉しかったです。
「曲はよかったけど、ちょっと暗いなぁ〜」と感想を皮切りに、今度は御自分のことをいろいろ話してくださいました。
大震災後、仕事の関係で石巻に来て働いてみえたそうです。
そうしているうちに、御自分の人生観がガラッと変わってしまったとのこと。
近いうちに御家族で石巻に引っ越して住む予定なんだそうです。
とても熱く次々と語ってくださり、そのうちに涙を浮かべて…思わずガシッと抱き合ってしまいました。
痛いくらいにギューッと抱きしめてくださるその力に、その方の心情がとても心に伝わりました。
ライブが全部終わってから、今度はおでんを用意してくださったご婦人方の中のお一人が、泣きながら近寄ってみえました。
わたしが、その方の亡くなられた大切な方に似ているというのです。
また、思わず抱き合ってしまいました。
泣きながら「古代あやこさん、忘れないからね!」と何度も何度も言ってくださいました。
これは、わたしのライブ風景です。

そして、記念撮影!
皆さん、すてきな笑顔です!
わたしの後ろにみえたご婦人が「寒かったでしょ」と、ずっと肩を抱いてくれていました。

駐車場の奥で、打ち上げを開いてくださいました。
何とも美味しい酒をいただきましたぁ…。
つまみも手作りでみんな美味しかったのですが、緑の濃い枝豆がめっちゃくちゃ美味かったです!
K子さんがアカペラで歌を披露してくださいました。
石巻に来たら、これ歌えなきゃ」と言って『石巻の女』という歌を熱唱。
いい声です〜♪もうこのライブの最優秀歌唱賞でした!
皆さん明るいのですが、時々ぽつりぽつりと震災直後のたいへんだった時の話を聞かせてくださいました。
ここ門脇さんのところもたいへんな被害だったそうですが、門脇さんが出動してみえる間、奥さんが気丈に頑張ってくださったそうです。
「こうなったら、もう這い上がるしかない」と笑ってみえましたが「でも、ここはゼロからだから這い上がれるけれど、福島県はマイナスからだから、たいへんでしょうねぇ」と。ほんとうに、そうですね…。
打ち上げが終わり、東松島市仮設のOさん宅に戻りました。
そうしたら、すごい夜食を用意して待っててくださいました…。
寿司屋の娘のわたしでも「えっ?これ何ですかぁ?」なんて聞いてしまうものでありました(笑)
お風呂もいただきました。
「お風呂いただきま〜す!」
「ど〜ぞ、召し上がれ〜♪」だって(笑)
風呂上がりに、地域限定版の大震災記録映像の短いDVDをみんなで見ました。
Oさん御夫妻が、見ながら説明をしてくださいました。
Oさんは自衛官なので、いろいろな体験をされたようです。
貴重なお話を、聞かせていただけました。
次の朝
また朝食も美味しくいただきました〜。
Oさんが作ってくださったというシジミ汁は、とても美味しかったです!
朝からご飯おかわりしちゃいました〜。
って、なんか…美味しいもの食べてばかりですね…。
外へ出て「おはようございます」と挨拶すると、誰もがにこやかに挨拶を返してくださいました。
こんな和やかな雰囲気は、名古屋にはないなぁと思いました。
ここから出る時、ここの仮設の会長さんが名刺代わりに「共感ライブ、ありがとうございました!」と書かれたハガキをくださいました。
裏側には、この写真が。

にこにこと朗らかそうなお顔の会長さんがくださったこのハガキ、何だか、泣けました。
この会長さんにも、ほんとうによくしていただきました。感謝。
Oさんの奥さんのMさんが、今度は仙台まで車で送ってくださいました。
仙台では、会場が分かれます。
東京のミュージシャン『相模の風THEめをと』さんのお二人は中野地区復興まつりでのライブ。
会場までご一緒して、リハーサルを拝見して別れました。
途中『THEめをと』の、かざきなおさんが転んでしまったようで、足を引きずってみえました。
仮設住宅のまわりは砂利道で、歩き辛いのです。
『相模の風THEめをと』さんには、ライブの構成の面でたいへんに助けられました。
わたしのライブ形式とは全く違うので、全体のバランスがとれて、お客さんに楽しんでいただけた気がしました。
ライブ以外でも、そう、お二人は愛煙家とのことでしたが、煙草の匂いの苦手なわたしにさりげなくいつも気遣いをしてくださってました。
このライブツアーが初対面でしたが、ほんとうに気持ちのいい方々で、いい旅になりました。感謝。
さて、わたしは仙台西公園でライブです。
企画担当のYさん、Oさん家のMさんと3人で公園を歩きました。
「これが広瀬川ですよ」とMさん。
お〜〜これが、広瀬川〜♪って歌に出てくる川ね〜!
大きなこけしの塔が建ってる場所が指定のところです。
仙台のYさんの甥っ子くんがちゃんと役所に届けて借りてくれたのです。
準備をしていると、その甥っ子くん一家がご到着。
Yさんのお姉さんの御家族です。
前日のライブと違って、公園は電源がないので、全くの生演奏、生声のライブをやりました。
何処かでカラスたちが、声援なのか、野次なのかわからぬが騒がしかったなぁ。
しょうがないので鳥たちにも『カラス』という演歌を歌ってあげました(笑)
散歩で通りかかったご婦人が立ち止まって「いいですか?」と言って聴いてくださいました。
『カラス』を聴き終え「高尚な歌詞ですね」と…えっ高尚、ですか??はぁ…。
その方は御自宅で介護の日々を送られてるとのことで「気分転換になりました」と言って行かれました。
涙もろいYさんの御親戚の皆さんは、やはり、涙もろうございました。
歌を聴いて、よく涙してくださってました。
そうして最後の曲の前に、ふわっと自然にメッセージがわたしの口からこぼれました。
「来て、よかったです…。ありがとうございました…」と、ただそれだけでしたが、言ったらふいに泣けました。
ふと見ると、同じような泣き顔が映りました。
ほんとうの『共感ライブ』でした。

ライブ後、皆さんでご飯を食べに行きました。
またもやご馳走になってしまいました…。
Yさんの甥っ子くんは、Yさんが一番初めにライブの企画を相談した相手です。
その時に甥っ子くんは、二つ返事で「やりましょう!」と言ってくれて動いてくれたそうです。
それが『共感ライブ』のスタートでした。感謝。
甥っ子くん御一家の御自宅はマンションでしたが、やはり地震で住めない状態になり、引越されたそうです。
Yさんのお姉さんは透析患者のため、震災の時は心配な状況だったそうです。
ご無事でよかった。
御主人に仙台駅まで送っていただき、Yさんと二人で帰りの新幹線に乗りました。
隣りに座ってみえるYさんの横顔を見ていたら、何かいろいろな思いが頭の中を巡っているような風に見えました。
久しぶりの帰郷だったのに、御親戚の皆さんと水入らずで語る時間が足りなかったかもしれないなぁ…って思いました。
こうして、ライブをきっかけにして、震災後、Yさんはやっと故郷に帰れました。
それが、Yさんの心にどんな影響を与えたのか、心の中は見えません。
ただ、わたしの心には、この旅は宝物になりました。
自分のアパートの部屋に着くなり、いきなり号泣していました。
それから、しばらく、思い出しては泣く日々でした。
どうしてこんなに泣けるのか、考えていました。
被災地の方々が、あまりにも暖かかったからです。
それが嬉し過ぎて。
こんな暖かい方々が、何故あんな酷い目に遭っているのでしょうか。
それが悔しくて。
わたしは結局、ただ歌を歌ってきただけです。
他には何もしていません。
歓迎されて、大事にされて、応援してもらって。
ものすごく励まされました。
忘れません。
ずっとずっと、被災地のこれからを、案じています。

最後に、わたしを連れて行ってくださったYさんに、心から「ありがとう」

音楽をやっていて、よかった…