古代 あやこ☆ブログ

シンガー・ソングライター

30年前のバレンタインデー


写真は、30年前のバレンタインデーのわたし(笑)
場所はmss会館(エルム)です。

1988年2月14日に、ここで大野 栄潤門下生発表会が開催され、師匠の生徒が21人出演して、一人2曲ずつ生バンドで歌いました。
このころ、わたしは役者をやっていて、こうやって歌手として生バンドで歌うのは初めての経験でした。
そう、役者でしたので、歌手目指してたわけではないので、まさかこの3年後に、もらい物のギターで作詞作曲をやり始めて、自主コンサートを開催することになるなんて、このころは夢にも思ってなかったのです。
人前で歌うことが好きだったわけでもないし、自信もないし、楽器にも興味があまりなかったし。
師匠のところへレッスンに通いだしたキッカケは、劇塾の卒業公演の芝居で歌があって、天野 鎮雄先生から「キミは芝居は良かったけれど、歌がねぇ…」と言われて、目標にしてた劇座の研究生になれなかったこと。悔しかった。
師匠は、劇塾の声楽の講師をされてて「個人レッスンもやってるよ」とおっしゃってたので、歌が上手くなりたい一心で入門したんです。

師匠に薦められて1991年から自主コンサートをやり始め、毎年、必死に続けてきて早27年…歌は…まだ上手くはなっていないな(笑)
変わった歌手だよね、歌が下手だと言われたのがキッカケでなってっちゃうなんて。
役者は、十数年、けっこう長くやってました。芝居が好きでしたから。
でもある時、あぁわたし向いてないなぁと思って辞めました。

曲を作るキッカケはね、心が辛かったから。
失恋のショックや、自己嫌悪や、自分の心の中のものを吐き出す行為だった、最初の頃はね。
曲を作って歌うことで、精神状態を保ってた。
師匠が最初に「コンサートやったら?」と薦めてくれたのは、わたしがヤバイ状態だったからだと、後から教えてくださいました。
当時は泣いたり叫んだりして歌ってましたから、怖がられたり心配されたり、ご迷惑かけたりしてましたが、何年か経って、だいぶ落ち着きましたねぇ。歌らしくなってきた(笑)
自称シンガー・ソングライターですから、何かヒットしたわけでもなく、食えてませんが、かけがえのない良き仲間、友達、応援してくださるお客様方とのご縁は、ほんと〜に宝物です。
なんにもやってなかったら、こんなご縁には巡り会えませんでしたからね。

それから、自分で曲が作れるということ。
そんなことが出来るようになるなんて、本当に思いもしなかった。
まぐれ、自然の産物なので、不安定ですが、だから産まれた時はとても嬉しい。


いつも聴いてくださってる皆さん

愛しています☆